コンパスコラム

【–よく使う言葉、じつは–】『そうだったのか!』 第3回 その日本語、大丈夫ですか?

仕事帰りに外食をした最近のことです。
「まもなくラストオーダーですが、大丈夫ですか?」
と、声をかけられました。驚きました。何事が起きたのかと。
私は道端で行き倒れになっていたわけではありません。都心の店で一服していたのです。
注意深く店内に目をやると、美人ウェイトレスは各テーブルを巡りながら同じ言葉を
かけ続けていました。意外な反応を示したのは、たぶん私だけらしい、とその時気付き
ました。皆、こともなげに短い返事を交わしているのです。
  「伝票、ここで大丈夫ですか」「ええ」――
そうか、これが現代語なのか?
すんでのところで私のいたずら心が跳び出しそうになりました。
――急がないと、この店が危険なの?
――早く食事を済ませなさいってこと?
こんな皮肉を言ってみたくなったものです。
しかし、この日だけではありませんでした。スーパーのレジでも、支払いの際、
「カードで」といったら、「はい、だいじょうぶです」と許可された。続いて、
「お客様、袋大丈夫ですか?」
と聞かれても、今度は私も驚くことなく、
「要りません」
と答えられました。
 
昨今、特に若者の間では、『大丈夫です(か)』が大はやりです。
元来、この言葉は、通常、安全確認の目的で用います。広辞苑には、
「壮健なこと」「あぶなげのないこと・しっかりしていること」「間違いのないさま」
とあります。
前記の場合は、追加注文の有無を確かめたかったのでしょう。そうだとすれば、
  「追加の御注文はありませんか?」
と、具体的な言葉で表現するほうが礼に適っていると言えます。他の語も、それぞれ
  「伝票をここに置いてよろしいですか」「はい、分かりました」「袋は御利用になりますか?」
というほうが内容は適切に伝わるでしょう。

長年連れ添った老夫婦の間なら、
   「あれはどこにある?」「ああ、棚の上よ」
といった会話も成り立つでしょう。
また、同世代の親しい友人、似通ったものの感じ方・考え方をする者同士とばかり付き
合っていると、省略したり、代用語で間に合わせたりしても、通じるようになってしまい
ます。その結果、多様な表現を単純化して受けとめ、一つの表現で間に合わせる言い方が
まかり通ることになった、といえましょうかー。後述する、例の〔すごい〕の連発もこの
部類に入ります。
   表情、語り口、声の調子等で多様な意味に通じることに慣れてしまうと、「大丈夫」が
なににでも使える感覚に陥ってしまいます。
   そのうえ、それを仕事の場で不特定な対象にまで使うのは、若者特有の≪自己中心性≫
かもしれません。たとえば、物を売る際に、
   「こちらで大丈夫ですか」「お一つで大丈夫ですか」
などは、思わず「そんなに危険なのか」と皮肉を言いたくなります。この場合は、
   『よろしいですか』と言えばよいでしょう。
また、こんな例を耳にしたこともあります。
「もう少し大きいサイズありますか」「もう一つ、追加してください。」
「はい、大丈夫です。」
に至っては、客の言葉を評価しているとさえ受け取られかねません。この場合は、
『わかりました』とか、『承知しました』という言い方があります。
ちなみに、前述したように「大丈夫」は、安全確認の際に用いることがふさわしい
言い方です。「安全」と「理解・納得」の区別もできず、万能型の意味に使うようになり、
なんでも「大丈夫」で間に合わせるようになった背景は、事柄の区別ができなくなった
現象か、と勘繰りたくなります。
要するに、応じる語彙が具体的に思い浮かばないお粗末な状態なのではないかと想像
しています。この傾向は、次の語についても言えます。
『美しい』『きれいだ』、『可愛い』、『すばらしい』『すてきだ』
などには、それぞれ微妙な違いがあります。また、
 『非常に』『たいへん』『大いに』『とても』、『すばらしく』『驚くほどに』
などは、語源の違いからも分かるように厳密に使い分けられてきました。
  ところが、それができなくなった結果、昨今、なんでも  〔 すごい 〕


で間に合わせる現象が生じています。日本語の緻密さを使いこなせなくなった、
乱暴な言い方をするなら、「鈍感になった」のではないか、と思えるのです。
  日本語は、外国人が難しいと感じるほど緻密な正確さを使い分けてきた言語です。
それは、日本人のもののとらえ方、感じ方、考え方が緻密で、繊細であることを意味し
ます。個人に当てはめるなら、言語はその人の感性やものの考え方の表れでもあります。
そんな見方から、「学ぶ」ことの意味も考えてみたいものです。      [ つづく ]